So-net無料ブログ作成
検索選択

FACE [魂を揺さぶる言霊ファイルⅠ]

In Arabic,
the "face" of something signifies its essence or reality.

アラビア語で、何かの「顔」とは、
その本質ないしは実在性を意味する。

If the only Face of God you CHOOSE to see, is the "Good and Loving" face

もし、あなたが見たいと「選ぶ」、神のその表情が、
「善と愛」の顔であるならば、

- then the other will manifest in your life in other ways.

そうではない別の表情が、
ほかのカタチで、あなたの人生に顕現するだろう。

It is a little like being "in love" with someone

これは少し、誰かと「恋」に落ちることに似ている。

who has certain characteristics that you decide to try to change,

相手の性格のある部分を、あなたが変えてみようと決めたり、

or to "put up with" (often by changing some essential thing about yourself).

(よくあるのは、あなた自身の根本的な性質を変えたりして、)
我慢しようとするように。

You don't REALLY LOVE THAT PERSON AS HE/SHE IS.

そのとき、あなたは、
ありのままの彼/彼女を本当に愛しているとはいえない。

And the same is true of our "Love of God."

同じことが、「神の愛」にも当てはまる。

How can we possibly LOVE Him,
if we deny fully HALF of His being?

神の存在の半分を否定してしまったとしたら、
どうやって神を本当に愛することなどできようか?

If we set ourselves up as judge and jury

まるで裁判官のようにこの宇宙を裁こうとでもいうのか?

as to what part of the universe, what part of existence, what part of GOD, is acceptable and "okay?"

宇宙の、存在の、神の、一体どの部分だけが、
受け容れ可能であり、「オーケー」だと?


(……)

To live in a condition where one denies the right of the so-called "base character traits" to exist,

いわゆる「最も低級の性質が持つ特性」を否定し、

to consider them an "error" or a "rebellion," a "Satanic delusion,"

それを「誤り」ないし「反抗」、
「極悪非道な間違い」などとみなす者は、

is to deny fully half of existence,

存在の半面を全く否定し、

fully half of God - to reject Him,
to NOT love him;

神の半分を否定する者、神を拒み愛さぬ者である。

to love only those parts that the limited human mind
consider to be "acceptable"

人の心の限られた(美しい)一面のみを
「受け容れ可能」として愛し、

and to "hate" those parts that are not "pleasant" and desirable to fleshly comfort

世俗的な安定にとって「心地よく」なく、
望ましからぬ側面を「嫌う」ならば、

- and it is to love subjectively only the part of the self that is "acceptable."

それは、「受け容れ可能な」自己の一面のみを
自己中心的に愛することに他ならない。

And this is a crucial point.

ここが大事な点なのだ。

To ACCEPT one's own self, in all its many parts.

自らの全ての部分を受け容れること。

That does NOT mean that one "manifests" every negative character trait,

それは、
全てのネガティブな性格特性を「表現せよ」ということではない。

it means that one accepts, loves,
and tries always to choose to manifest the noble traits

あらゆるものに存在する高貴な特性を、
あなたが常に明らかにするべく、
受け容れ、愛し、試みる選択をすることだ。

and to channel the base traits productively.

低級の特性にも生産的に心を向けることなのである。

To love objectively, all that IS,
unconditionally, both the light and the darkness,

存在するもの全てを、無条件に、光も闇をも、客観的に愛し、

and to NEVER interfere with the Free Will of another
to choose to do or be as they see fit is one of the keys;
one of the "simple understandings."

他人がそうありたい、ぴったり来ると感じるがまま、
自由意思に干渉しないことこそひとつの鍵であり、
「シンプルな理解」ともいえる。

Of course, at the same time,

もちろん、同時に、

it is to refuse to have one's own Free Will violated.

拒絶は、他者の自由意思の侵害である。

You don't have to act "against" another,

他人に「対抗して」振舞うべきではなく、

you merely act "for your own destiny" in such cases.

そのような場合は、ただ単に、
「あなた自身の運命のため」行動するのがよい。

’The Light of Perspicacity comes directly from God,
from the source, so to speak.

「洞察の光は神から、言わば根源から直接にやって来る。

That is why it is able to see not only the praiseworthy
but the blameworthy as well.

だからこそ、賞賛に値するもののみならず、
非難に値するものをも見ることができるのだ。

In other words,
the light of perspicacity IS the ability to SEE OBJECTIVELY.

言い換えるなら、
洞察の光とは、客観的にものごとを見るチカラなのだ。


And we obtain this "perspicacity,"
apparently, from knowledge.

この「洞察力」こそ、知から獲得されるものである。

by Cassiopaean 6th Density STO (Service To Others)

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この記事のトラックバックURL:

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。