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日月記録Ⅱ~続・これまでの話。 ブログトップ

34.岐路 [日月記録Ⅱ~続・これまでの話。]

注:「日月記録」は私とサクの数奇な出逢いの過程を綴ったものです。

サクの手紙が私のひとつの心の転機になっていたので、これをひとつの区切りとして、
ここからはⅡ部として綴っていこうと思います。
初めて来られた方で興味のある方は、面倒でなければ 「日月記録」の1から読んでみてくださいね。

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昔、どこかの英文で読んだことがある。
愛の語源は「0」=ラブだという。

もともと愛とは、空気のように、ただそこに在るもの。
それと主張することもなく、何かを求めることもなく、
気づけば、当然のようにどんな自分も丸ごと包んでくれているものだと。

それが愛の本質であり、究極の姿であるなら、私たち人間はいつかそこに
還って行くのだろう。
それまでは、まるで行ったり来たりを繰り返す振り子のように、
ひとは、愛することを通して感情の起伏を体験し続ける。
いつか、原点に安らぐその日まで、
歓喜したり、悩んだり、悲しんだり、ときに憎んだり、その分また求めることを
繰り返しながら、振幅の時期を彷徨うのかもしれない。

だから、愛から生まれる喜びと、苦しみはいつだって表裏一体だ。

サクが真心だけで書いた手紙は、私に、この上ないほどの幸せと喜びを与えた。
そして、その分だけ、私に、これ以上ないほどの苦しみを与えた。

サクを愛するために、私は、自分の弱さをはっきりと見なければならなかった。
できれば、見たくないもの、遠ざけておきたい自分の臆病な影。
自分に言い訳をしながら、いつだって、目をそむけてきた私の弱さ、守りたい体裁。
それでもサクと一緒になるためには、無視できない、
乗り越えなければならない強固な壁が、たくさん見えた。

「本当に愛する人とは一緒になれない。」
そんな言葉をよく聞いたことがある。
かつて、どうしてだろうと不思議に思っていた。
愛し合っているのに、結ばれない理由がどこにあるのかと。

けれど、今はわかる気がした。
人間は、誰しもひとりでは、愛を学べない。
だからこそ、男性と女性が、在る。人との出逢いを、繰り返す。
神様はきっと、すべての人の、運命の相手の魂の中に、
愛の本質を知るための「道具」をたくさん仕掛けておいたに違いない。
本当に愛する人と結ばれるのが難しいのは、その過程で
何度も「究極の選択」を迫られるスイッチを押すことになるからだ。

選択肢はいつだって、ふたつ。
愛か、それ以外、か。

サクは、私より先を歩いている人だった。
彼の選択肢はいつだって、愛しかないことを見せ続けてくれていた。
彼は、はじめから、私への愛以外大事なものなどなかった。
自分を守るすべての道具を捨てた。
未来さえ捨てた。
命さえ捨てた。
魂さえ売る覚悟で、私に会いに来た。

一方、私は、違う。
そうじゃない。
そのときの私は、ずるかった。
私は、愛のもたらす「美しい側面」しか見ようとしていなかった。
しかし、観たくない側面から目をそらすなら、そこから先へは進めないだろう。
神の与えた出逢いの仕組みの前で、隠し置けるものなどなにもない。

相手の魂に仕掛けられた「道具」とは、それほどに巧妙なものだった。

― ああ、
こんなにももらっていながら、私は、自分の生活を何一つ変えようとしていない。
私はまだ、なにも捨てていない。

私は、苦しかった。

これまで、サクは身を挺して、私に信じることを選択させてくれた。
私が、疑いを越えてすべてを「信じる」スイッチを押したとき、
何かがはっきりと動き出した。
そして、知った。
「信じる」ことの本質とは、他でもない、具体的な誰かに対するではなく、
私自身、私に降り掛かるすべての現実、運命、天命を愛することに等しいものだと。

次も、私が選択しなければいけない。
今度は―、きっとすべてを「手放す」スイッチだ。

正直、私は、怖かった。
サクが私を愛してくれるほど、自分の弱さが露になった。

私は、手放せるだろうか?

与えられたこの愛に向かって、この身まるごと、
すべて捨てても投げ出せるだろうか?


そんな自問自答を繰り返す中、師走も暮れ、
私たちは、それぞれの場所で、いつのまにか新年を迎えていた。





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